西陣だより

西陣 どんな場所?(3):見どころ 桜 (3月下旬から4月中旬)
ソメイヨシノがおわり、桜の時期は終わったかのように見えますが、西陣では先週までは桜の見ごろでした。今回は西陣のお花について。 桜の時期でも、西陣エリアは比較的穏やかさを保っています。東山や嵐山のように一か所に多くの観光名所が集まっていませんし、少し交通の便は悪いです。ただ最近は自転車で西陣をめぐる観光客や、西陣の宿にとまる観光客は少しずつ増えているようです。それでもまだまだ穏やかなものです。 桜は、見どころはたくさんあります。特に、少し変わった桜が多いですので、ソメイヨシノ(3月下旬から4月上旬)の時期から少し遅れてしまった観光客は、意外と静かな環境の中で桜をじっくり堪能できるのです。 ソメイヨシノは京都中、どこもかしこも見ることができますが、西陣でしたらこのエリア。歩いて回れる範囲で良い桜が揃ってます。しかも茶道会の雰囲気漂う小川通は、その京都らしいたたずまいにもかかわらず観光客はほとんど来ません。落ち着いた和カフェもあり、桜の時期、ゆっくり京都を堪能したい方には絶好の場所。 平野神社 ソメイヨシノの前から桜は咲き始めますが、「魁桜」が先陣を切るようです。ソメイヨシノの満開のころは豪勢ですが、ここはかなり人も多く、桜の保護のために入場料をとっており、幕で囲ってしまっているため、正直あまり風情がないのが残念です。そして、ここだけは、人が多いです! おすすめは遅咲きの桜。日差しの中で美しく輝く黄色の鬱金桜。緑色からだんだんピンクへと色を変える御衣黄桜のほか、かわいらしい菊桜や実に様々な種類の桜が咲きます。 堀川通 こちらは舗装された川で、そばには大通りが通っておりますので、あまり風情はありませんが、遅咲きの桜が多く、種類も多いです。かなりの距離にわたっていますので、移動がてら桜を楽しみたい方にはとても良い場所です。 千本釈迦堂 枝垂桜や遅咲きの桜が数本あり、御衣黄、普賢象があります。洛内最古の建物(応仁の乱をサバイブ)鎌倉時代の建物としても見ごたえがある静かなお寺です。 千本ゑんま堂 小野篁が建立したゑんま堂が発展し今に続くとも言われる、閻魔様を祭るお寺。紫式部の供養塔とともに、普賢象桜も有名です。普賢象桜は、花の中から延びる変わり葉が曲がっており、普賢菩薩の乗る象の鼻に似ているということからつけられた名前のようですが、こちらの普賢象は歴史書にも言及される、由緒正しい桜のようです。 遅咲きの桜の時期は、青紅葉がきれいになってくる頃でもあります。北野天満宮もお寄りあれ。
西陣 どんな場所?(3):見どころ 桜 (3月下旬から4月中旬)
ソメイヨシノがおわり、桜の時期は終わったかのように見えますが、西陣では先週までは桜の見ごろでした。今回は西陣のお花について。 桜の時期でも、西陣エリアは比較的穏やかさを保っています。東山や嵐山のように一か所に多くの観光名所が集まっていませんし、少し交通の便は悪いです。ただ最近は自転車で西陣をめぐる観光客や、西陣の宿にとまる観光客は少しずつ増えているようです。それでもまだまだ穏やかなものです。 桜は、見どころはたくさんあります。特に、少し変わった桜が多いですので、ソメイヨシノ(3月下旬から4月上旬)の時期から少し遅れてしまった観光客は、意外と静かな環境の中で桜をじっくり堪能できるのです。 ソメイヨシノは京都中、どこもかしこも見ることができますが、西陣でしたらこのエリア。歩いて回れる範囲で良い桜が揃ってます。しかも茶道会の雰囲気漂う小川通は、その京都らしいたたずまいにもかかわらず観光客はほとんど来ません。落ち着いた和カフェもあり、桜の時期、ゆっくり京都を堪能したい方には絶好の場所。 平野神社 ソメイヨシノの前から桜は咲き始めますが、「魁桜」が先陣を切るようです。ソメイヨシノの満開のころは豪勢ですが、ここはかなり人も多く、桜の保護のために入場料をとっており、幕で囲ってしまっているため、正直あまり風情がないのが残念です。そして、ここだけは、人が多いです! おすすめは遅咲きの桜。日差しの中で美しく輝く黄色の鬱金桜。緑色からだんだんピンクへと色を変える御衣黄桜のほか、かわいらしい菊桜や実に様々な種類の桜が咲きます。 堀川通 こちらは舗装された川で、そばには大通りが通っておりますので、あまり風情はありませんが、遅咲きの桜が多く、種類も多いです。かなりの距離にわたっていますので、移動がてら桜を楽しみたい方にはとても良い場所です。 千本釈迦堂 枝垂桜や遅咲きの桜が数本あり、御衣黄、普賢象があります。洛内最古の建物(応仁の乱をサバイブ)鎌倉時代の建物としても見ごたえがある静かなお寺です。 千本ゑんま堂 小野篁が建立したゑんま堂が発展し今に続くとも言われる、閻魔様を祭るお寺。紫式部の供養塔とともに、普賢象桜も有名です。普賢象桜は、花の中から延びる変わり葉が曲がっており、普賢菩薩の乗る象の鼻に似ているということからつけられた名前のようですが、こちらの普賢象は歴史書にも言及される、由緒正しい桜のようです。 遅咲きの桜の時期は、青紅葉がきれいになってくる頃でもあります。北野天満宮もお寄りあれ。

日本のラグジュアリーについて考える(3): 伝統工芸のグローバル化における”日本らしさ”の扱い
伝統工芸もグローバルマーケットに進出していこうとする一方、日本の美はどうしてもグローバルなライフスタイルにおいて売り出しにくいと思います。日本らしいデザインのものを日本で購入してヨーロッパに帰ると、空間にマッチしないことが多く、使わなくなってしまうことが結構ありました。前述のように、デザインとしてはどうしても個性的でエモーショナルに訴える力は弱いのではないかとも思いますし、そのような表現の文化的違いは「日本的」ともいえるでしょう。 それを強みにしようというのが、「そぎ落とされた贅沢」というも美意識や、わび・さびに代表される独特な精神的・内面的な美意識や、細部へのこだわり、シンプルさ、余白の美、移ろいの美、なども含むのでしょうか。確かにこれらのイメージは日本文化として確立していますし、現在の現代美術との融和性も高く、戦略として素晴らしいと思います。 一方で、もっと浮世絵やアニメのように視覚的・感覚的なものもあります。大胆さ、奇抜な配色、一種独特な深淵性のなさも個人的には「日本の美意識」で、現在のところ、どちらかというとこちらのほうがグローバル市場ではより認知されているようにも思えますし、これらはラグジュアリーとは別の分野、あるいはアートに分類されるのではないかと思います。 伝統工芸の悩ましいところは、ラグジュアリーとアートの狭間のあいまいな位置にある、ということでしょうか。現在ラグジュアリーはアートを取り込んでいますが、工芸はどちらも属する、というよりどちらにも何かが不足する、という立場のような気がします。 そのため、日本らしさ、というものが語り口として使われるようになるのかもしれませんが、日本らしさもよくよく考えると多種多様であり、わび・さびはあくまで日本の一面であってすべてではない、というのは弊社の根本的な意識のなかにあります。そもそも、何が日本的であるか、というような強い自意識は、個人的には不思議なものに感じています。作品をはじめから日本の伝統工芸・日本の美ということばに押し込めてしまうのはマーケティングの上で、魅力的なのでしょうか。 弊社は日本の伝統工芸のお店、というよりは、作品の後ろにある人間性に焦点を当ててはどうか、と考えました。ますますアルゴリズムによって支配されていく世界において、私たちは手によって生み出された商品を扱っているのです。
日本のラグジュアリーについて考える(3): 伝統工芸のグローバル化における”日本らしさ”の扱い
伝統工芸もグローバルマーケットに進出していこうとする一方、日本の美はどうしてもグローバルなライフスタイルにおいて売り出しにくいと思います。日本らしいデザインのものを日本で購入してヨーロッパに帰ると、空間にマッチしないことが多く、使わなくなってしまうことが結構ありました。前述のように、デザインとしてはどうしても個性的でエモーショナルに訴える力は弱いのではないかとも思いますし、そのような表現の文化的違いは「日本的」ともいえるでしょう。 それを強みにしようというのが、「そぎ落とされた贅沢」というも美意識や、わび・さびに代表される独特な精神的・内面的な美意識や、細部へのこだわり、シンプルさ、余白の美、移ろいの美、なども含むのでしょうか。確かにこれらのイメージは日本文化として確立していますし、現在の現代美術との融和性も高く、戦略として素晴らしいと思います。 一方で、もっと浮世絵やアニメのように視覚的・感覚的なものもあります。大胆さ、奇抜な配色、一種独特な深淵性のなさも個人的には「日本の美意識」で、現在のところ、どちらかというとこちらのほうがグローバル市場ではより認知されているようにも思えますし、これらはラグジュアリーとは別の分野、あるいはアートに分類されるのではないかと思います。 伝統工芸の悩ましいところは、ラグジュアリーとアートの狭間のあいまいな位置にある、ということでしょうか。現在ラグジュアリーはアートを取り込んでいますが、工芸はどちらも属する、というよりどちらにも何かが不足する、という立場のような気がします。 そのため、日本らしさ、というものが語り口として使われるようになるのかもしれませんが、日本らしさもよくよく考えると多種多様であり、わび・さびはあくまで日本の一面であってすべてではない、というのは弊社の根本的な意識のなかにあります。そもそも、何が日本的であるか、というような強い自意識は、個人的には不思議なものに感じています。作品をはじめから日本の伝統工芸・日本の美ということばに押し込めてしまうのはマーケティングの上で、魅力的なのでしょうか。 弊社は日本の伝統工芸のお店、というよりは、作品の後ろにある人間性に焦点を当ててはどうか、と考えました。ますますアルゴリズムによって支配されていく世界において、私たちは手によって生み出された商品を扱っているのです。

日本のラグジュアリーについて考える(2): ラグジュアリーの再定義
近年、伝統工芸がラグジュアリーのコンテクストで言及されることが増えているように思います。例えば、Japanʼs Authentic Luxuryを一言でまとめたJAXURYという委員会は、クラフトマンシップ、感性、信頼など10の視点から、毎年企業を対象に賞を授与しているようで、西陣織からはHOSOOさんが受賞されています。西陣織のような伝統工芸品は質の高い材料を使い、専門技術を会得した人が時間をかけて作り上げるので、質はもとより値段も高いものとなります。ですので、弊社でもはじめはあまり深く考えずに「ラグジュアリー」という言葉を使っていました。しかし、伝統工芸はラグジュアリーなのでしょうか?ふと考えると、一般に「ラグジュアリー」が連想させる西洋の高級品とはやはり何か違うようにも感じます。これから販路のグローバル展開を考えれば、伝統工芸をラグジュアリーとしてとらえるのも1つの方法かと思いますが、私は違和感を覚えました。 現代のグローバル市場におけるラグジュアリーの概念は主に欧米の歴史・文化に根付いており、自己の表現と密接にかかわっているのではないかと思います。「ラグジュアリー」は素材・技術・デザインの秀逸性のみにあるのではなく、その消費は誇示、象徴性の消費による自己表現でもあり、そのために作られたものでもあるでしょう。そしてそれは19世紀の帝国主義時代の文化的な力関係によって、欧米のみではなくアジアででも積極的にアイコンとして消費されグローバル化しましたが、その逆の傾向はあまり見られないのではないかとも思います。 伝統工芸にも、そのようなアイコン性のものもあるでしょう。ただ、自己表現の方法が日本と欧米では異なり、その表現的な違いは、現在のグローバル市場において、エモーショナルな面での訴えかけのようなものに違いをもたらしているようにも思います。 そう考えたとき、現代のグローバル市場で、伝統工芸品をラグジュアリーとして同じ土俵に乗せてしまうことは、ラグジュアリーの意味合いが変わるか、よほどの手腕がない限り難しのではないか、と思います。ですので、Jaxuryがラグジュアリーを「そぎ落とされた贅沢」として再定義する試みは、ある意味でグローバルなラグジュアリーの理解に日本の視点からものを申す、という非常に心強い試みと思います。ただ、私たちははそぎ落とされた美があまりに日本文化と強調されることには若干居心地の悪さを覚えますので、そこに弊社の進むべき道もあるのかなと思いました。そもそも、そこまで日本文化にこだわる必要もあるのでしょうか。
日本のラグジュアリーについて考える(2): ラグジュアリーの再定義
近年、伝統工芸がラグジュアリーのコンテクストで言及されることが増えているように思います。例えば、Japanʼs Authentic Luxuryを一言でまとめたJAXURYという委員会は、クラフトマンシップ、感性、信頼など10の視点から、毎年企業を対象に賞を授与しているようで、西陣織からはHOSOOさんが受賞されています。西陣織のような伝統工芸品は質の高い材料を使い、専門技術を会得した人が時間をかけて作り上げるので、質はもとより値段も高いものとなります。ですので、弊社でもはじめはあまり深く考えずに「ラグジュアリー」という言葉を使っていました。しかし、伝統工芸はラグジュアリーなのでしょうか?ふと考えると、一般に「ラグジュアリー」が連想させる西洋の高級品とはやはり何か違うようにも感じます。これから販路のグローバル展開を考えれば、伝統工芸をラグジュアリーとしてとらえるのも1つの方法かと思いますが、私は違和感を覚えました。 現代のグローバル市場におけるラグジュアリーの概念は主に欧米の歴史・文化に根付いており、自己の表現と密接にかかわっているのではないかと思います。「ラグジュアリー」は素材・技術・デザインの秀逸性のみにあるのではなく、その消費は誇示、象徴性の消費による自己表現でもあり、そのために作られたものでもあるでしょう。そしてそれは19世紀の帝国主義時代の文化的な力関係によって、欧米のみではなくアジアででも積極的にアイコンとして消費されグローバル化しましたが、その逆の傾向はあまり見られないのではないかとも思います。 伝統工芸にも、そのようなアイコン性のものもあるでしょう。ただ、自己表現の方法が日本と欧米では異なり、その表現的な違いは、現在のグローバル市場において、エモーショナルな面での訴えかけのようなものに違いをもたらしているようにも思います。 そう考えたとき、現代のグローバル市場で、伝統工芸品をラグジュアリーとして同じ土俵に乗せてしまうことは、ラグジュアリーの意味合いが変わるか、よほどの手腕がない限り難しのではないか、と思います。ですので、Jaxuryがラグジュアリーを「そぎ落とされた贅沢」として再定義する試みは、ある意味でグローバルなラグジュアリーの理解に日本の視点からものを申す、という非常に心強い試みと思います。ただ、私たちははそぎ落とされた美があまりに日本文化と強調されることには若干居心地の悪さを覚えますので、そこに弊社の進むべき道もあるのかなと思いました。そもそも、そこまで日本文化にこだわる必要もあるのでしょうか。

日本のラグジュアリーについて考える(1) 伝統工芸の現在 個人的考察
日本の伝統工芸は、そのマーケットが十分なものであるかどうかは議論の余地があるにしても、根強い人気があると思います。安い大量生産品が出回る時代でも、工芸品の質の高さに疑いを持つ人は少ないでしょうし、高価なものでも日常的に使いたいと購入される方はたくさんいます。一方で、後継者問題が起こるのですから、良い働き口として認識されていないのは確かです。賃金や搾取という内部問題の可能性もありますが、やはりそれだけ商品が売れない、という事実は認めざるを得ないでしょう。 世界での認知度はどうでしょうか。知っている人々の間ではグローバルにも非常に評価は高いと思います。ただ、ヨーロッパでギャラリーなどを巡ってみたのですが、年代物でない限りあまり需要はないようでした。また一般の高級品売り場で日本の漆器や陶器、家具などを見ることは非常に稀です。海外のガラス製品、食器、家具などが日本の百貨店で大きなスペースを占めているのとは全く対照的です。日本でさえ、陶器売り場は西洋の陶磁器売り場より小さいのが現状です。グローバル市場におけるプレゼンスはかなり低い、というのが現状ではないかと個人的には思います。 日本へ来て、日本の工芸品を買ってくださる海外の方は多いでしょう。京都市内の工芸のお店に行くと海外のお客様がほとんど、ということも多々あります。最近京都でも工芸品のお店が増えたな、と中へ入って話を聞くと、やはりインバウンドのお客様をターゲットにしているところも多いです。これからさらに縮んでいく国内市場を考えると、海外での売り上げを高めることは伝統工芸の未来、という認識は結構あるのではないかと思います。その過程で、伝統工芸品がラグジュアリーという文脈で触れられることも多くなってきたように思います。
日本のラグジュアリーについて考える(1) 伝統工芸の現在 個人的考察
日本の伝統工芸は、そのマーケットが十分なものであるかどうかは議論の余地があるにしても、根強い人気があると思います。安い大量生産品が出回る時代でも、工芸品の質の高さに疑いを持つ人は少ないでしょうし、高価なものでも日常的に使いたいと購入される方はたくさんいます。一方で、後継者問題が起こるのですから、良い働き口として認識されていないのは確かです。賃金や搾取という内部問題の可能性もありますが、やはりそれだけ商品が売れない、という事実は認めざるを得ないでしょう。 世界での認知度はどうでしょうか。知っている人々の間ではグローバルにも非常に評価は高いと思います。ただ、ヨーロッパでギャラリーなどを巡ってみたのですが、年代物でない限りあまり需要はないようでした。また一般の高級品売り場で日本の漆器や陶器、家具などを見ることは非常に稀です。海外のガラス製品、食器、家具などが日本の百貨店で大きなスペースを占めているのとは全く対照的です。日本でさえ、陶器売り場は西洋の陶磁器売り場より小さいのが現状です。グローバル市場におけるプレゼンスはかなり低い、というのが現状ではないかと個人的には思います。 日本へ来て、日本の工芸品を買ってくださる海外の方は多いでしょう。京都市内の工芸のお店に行くと海外のお客様がほとんど、ということも多々あります。最近京都でも工芸品のお店が増えたな、と中へ入って話を聞くと、やはりインバウンドのお客様をターゲットにしているところも多いです。これからさらに縮んでいく国内市場を考えると、海外での売り上げを高めることは伝統工芸の未来、という認識は結構あるのではないかと思います。その過程で、伝統工芸品がラグジュアリーという文脈で触れられることも多くなってきたように思います。

2025年 西陣花便り3月(2)
先週の金曜日まで蕾だった一条戻橋のところの河津桜が、週末の暖かさで一気に開花しました!もう八分、九分といったところでしょうか。 御所の出水の桜も開き始めました。白木蓮はもう少し、というところです。 梅もまだ見頃で、綺麗なぼたんも見かけます。一気に賑やかになってきました。
2025年 西陣花便り3月(2)
先週の金曜日まで蕾だった一条戻橋のところの河津桜が、週末の暖かさで一気に開花しました!もう八分、九分といったところでしょうか。 御所の出水の桜も開き始めました。白木蓮はもう少し、というところです。 梅もまだ見頃で、綺麗なぼたんも見かけます。一気に賑やかになってきました。

2025年 西陣花だより (3月)御所の梅
長い冬も終わりに近づき、ようやく賑やかな季節の始まりです。 今年の西陣のお花たちは開花が随分と遅いです。昨年は3月1週目には咲いていた一条戻り橋のところの川津桜もまだつぼみ。御所の梅もまだ満開ではありません。先週突然また寒くなったからでしょうが、今週はようやくまた暖かくなりました。雨が多く少し湿っぽい雰囲気は続いておりますが、そろそろ本格的に春へ向かっているように思います。 写真は御所西側の梅たち。
2025年 西陣花だより (3月)御所の梅
長い冬も終わりに近づき、ようやく賑やかな季節の始まりです。 今年の西陣のお花たちは開花が随分と遅いです。昨年は3月1週目には咲いていた一条戻り橋のところの川津桜もまだつぼみ。御所の梅もまだ満開ではありません。先週突然また寒くなったからでしょうが、今週はようやくまた暖かくなりました。雨が多く少し湿っぽい雰囲気は続いておりますが、そろそろ本格的に春へ向かっているように思います。 写真は御所西側の梅たち。