西陣織の歴史(8)20世紀、そして未来
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古代より、絹織物の歴史は常にグローバルでしたが、これまでは主に日本はより影響を受ける側でした。これが変わってくるのが20世紀にかけてです。
19世紀中旬ごろに発生した蚕の病気ぺプリンがヨーロッパで蔓延し、ヨーロッパのシルク業界は大打撃を受けました。この時期に中国・日本の生糸への需要が高まり、日本もフランスへ蚕を贈るなど、日本の養蚕が海外へ影響を与えるようになってきました。しかし、当時の日本の生糸はまだヨーロッパの質には達しておらず、ヨーロッパでは再加工して日本の生糸を使っていました。
しかしながら、品種改良、そして品質管理の徹底が実を結び、日本がアメリカの生糸の最大の輸入先となりました。世界市場において日本が生糸の輸入国ではなく輸出国となるのです。しかしながら、織物は依然輸出の量は増加しませんでした。ここに日本の課題が残るのかもしれません。
国内における西陣織は、2度にわたる戦争やそれにともなう贅沢禁止令や物資の不足、戦火などを乗り越え、戦後の高度成長から1970年代ごろまでは再度産業の規模は拡大しますが、その後の日本人の生活スタイルの西洋化と化学繊維の高品質化により、現在に至って、産業は縮小しています。生産量はピーク時の200分の1となってしまいました。
しかしながら、1500年の歴史のなかで何度もあった危機のように、現在の後継者の減少や市場の縮小にも果敢に立ち向かっていっています。新しい用途の開拓とともに、国際市場の開拓やそれに伴う文化的変容など、まだまだ可能性が眠っていると私たちは考えています。