西陣織の歴史(7):明治維新後の京都

日本が産業化と中央集権化を進め、新たな首都である東京に集中していく中で、京都は旧都として新たな局面を迎えました。天皇と宮廷が東京へ遷都したことで、京都は皇室文化に近いという特権を失い、また丹後や桐生などの新興産地との競争という課題に直面しました。

西陣織の職人たちは、この変化に素早く対応しました。1872年には、若い職人3人をフランス・リヨンに派遣し、最新技術と知識を学ばせ、日本で初めてジャカード織機を導入しました。

ジャカード織機は、フランス人ジョセフ・マリー・ジャカードによって発明され、パンチカードを用いて複雑な模様の織りを自動化する機械です。この技術革新と国内産の豊富な生糸の供給が相まって、西陣織の生産工程は大きく変革しました。効率が向上し、これまで高価だった西陣織が手の届きやすい価格と量で提供されるようになり、産業が著しく発展しました。19世紀末には、あの狭い西陣のエリアに、関係業者1万人、織機2000台、職人3万人が生産に携わっていました。

ジャカード織機の導入は迅速かつ劇的で、それまで1000年以上使用されていた空引機(そらひきばた)は、わずか数十年の間にほとんど姿を消しました。「西陣」の名の由来となった応仁の乱から555年を記念して、空引機を復元する際には、現存する例がほとんどないため非常に困難を伴い、わずかな歴史資料を頼りに職人たちは高機を復元しなければなりませんでした。このことは、織機の転換がいかに決定的で完全なものであったかを物語っています。

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