西陣織の歴史(3)武士の時代
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奈良時代に確立した律令制に基づく中央集権体制は、平安京でも継続されましたが、その体制も貴族達の政治への無関心などから徐々に崩れていき、武士の台頭に繋がっていきます。
貴族化した平家が源平合戦で敗北し、鎌倉に武士政権が誕生すると、政治権力の移行は、文化の担い手にも変化をもたらしました。平安時代の文化は、貴族的な優雅さや繊細さ、そして華やかさを特徴としていましたが、武士階級はより質素で力強い美学を体現する傾向があります。しかし時が経つにつれて、武士階級は次第に貴族的な要素を取り入れるようになり、政治が安定するにつれて、将軍の生活も洗練されていき、一部の将軍は統治の厳しさから退き、文化的追求に没頭するようになりこともありました。
長らく皇室に仕える絹織物の名手であった西陣織の織工たちは、平安時代後半の頃からすでに機能しなくなったと考えられる織部司から離れ、鎌倉時代に政治の中心が東へ移動した際、西陣織の織工たちは「大舎人(おとねり)町」(現在の猪熊通下長者町附近:地図参照)や「大宮」に集まり、やがてギルドのような組織を形成。互いに競争・協力しながらその後の武士政権下の長きにわたり、精緻な織物を作り続けました。これから江戸時代までを見ていきます。