
織機の発展(2)空引機
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空引機という言葉をはじめて聞く方も多いでしょう。空引機は、つづれ織りなどに使われる高機とくらべてとても大がかりな織機で、高機の上に、経糸を操作する装置がつきます。中国で6-7世紀ごろ発明され、日本には奈良時代ごろには伝わっていたのではないかと考えられてはいますが、歴史的資料はないようです。正倉院におさめられている裂は空引機でおられたものと考えられるものもあり、中国製である可能性は高いですが、当時すでにそのような織物に日本人は触れていた、ということは言えるでしょう。平安時代には「年中行事絵巻」に描かれているように空引機は京都で使われていたようです。空引機は複雑な文様織を可能にしました。
驚くべきことに、空引機は19世紀末のジャガード織機の導入まで西陣で使われていました。もし奈良時代に伝わったものであれば、ほぼ1000年の間使われ続けたのです。その織機が瞬く間に消えてしまったこともまた驚きで、ジャガード織機がいかに革新的であったのかが伺えます。
空引機は現在はまったく使われておらず、あっという間に使われなくなってしまったためか現物もほとんど残っていません。西陣織555年記念に再現されましたが、その際には歴史資料などを読み解きながら再現したそうです。現在使える方もわずかしかおらず、イベントなどではデモンストレーションが行われている際に実際に稼働する空引機をみることができるのみです。
この空引機、実際にはどのようなものだったのでしょうか。下の写真を見てください。
機械の上に人が座っています。この人が何をしているかというと、柄を作るためにデザインで指定された経糸を引き上げているのです。上から下に長く見えるのが綜絖糸と呼ばれ、それぞれが針穴のような穴をもち、経糸が一本ずつ通してあります。もちろん、毎回どの経糸を引き上げるのか考えるのではありません。あらかじめそれぞれの経糸が図案にあわせて糸によってグループ分けされており、グループ分けに使われている横に走る糸を機械の上に乗った人が手前に引っ張ると、引き上げるべき経糸も手前に出てくるようになっているようです。
織り手は経糸が引き上げられたタイミングに合わせてデザインにしたがって緯糸を通します。緯糸は1本とは限らず、何層にもなることも多いです。デザインによっては箔も織り込まれます。足元にはいくつかの竹の棒があり、これらは手前に十数枚ある枠の動きをコントロールしますが、これらの枠も経糸と連結しており、綜絖とともに経糸の動きをコントロールします。誰が考えたのだろう、とおもうほど複雑なものですし、なんとも気の遠くなる作業です。しかし、このように生地は一千年もの間織られてきたのです。ですから、より複雑な文様の生地は高価なものとなり、限られた人々にしか手に入れることができないものでもありました。
この気の遠くなるような作業を自動化するのが、フランスで発明された織機がジャガード織機です。