西陣織の技術(1) 織機の発展 

西陣織の技術(1) 織機の発展 

これから数回にわたって、西陣織の技術について書いていきたいと思います。

織機はおそらく人間の歴史のなかでもかなり早い段階に発明されたものの一つではないでしょうか。体毛を失った人間が保温のために、また文化的な発展に従い、羞恥心、自己顕示欲から自然界にある繊維組織をシンプルに交差したものから、模様をいれたり組織を変化させたりとまさに数万年の歳月の中で高度に発展してきました。絹織物の歴史も古く、発掘された最古の絹織物はなんと今から5000年近くも前のもの。生地というものがどれだけ人間の文化にとって必需品であったかが伺えます。

世界には様々な原始的な織り機があったようです。西陣においては、地機のように地面に座り、経糸の支柱の一つを体でささえて織る原始的織機から、機織り機の2本のビームに経糸をはることで、織り手が機織りの機械から独立でき、座かけに座って機織りができるようになった高機へ発展したと考えられています。高機は日本へすでに4-5世紀ごろには中国より流入していたようです。

地機

紡ぐ・織る技術の基本 | トヨタ産業技術記念館より拝借

高機の導入以降、西陣織では現在でもつづれ織りに使われる簡素な高機である手機機とともに、長い間高度な紋織を可能にした空引機の二つが主に使われてきました。つづれ織りに使われている高機は、経糸の操作のために2つの綜絖を持っています。綜絖とは織機の非常に重要な部分で、経糸の上げ下げをコントロールします。綜絖が2枚ある場合は、1本ずつ交互にそれぞれの綜絖に糸が通されますので、奇数の糸が上がると、偶数の糸が下がり、その間にできた隙間に横糸を通します。つづれ織りの高機の場合は、綜絖は2つが一度に上下するのではなく、片方のみが下がることで隙間をつくる簡素な仕組みとなっています。

経糸はほとんど規則的な動きで平織になり、柄は下の動画のように手で織っていきます。下にデザインを置いてそれを見ながら織っているようです。柄は作業しているときには裏に現れますので、時折鏡で確認しながら織っていきます。

次回は空引機について説明しますね。

 

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