
日本のラグジュアリーについて考える(4): AI時代の伝統工芸
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少し壮大なタイトルです。AI時代における伝統工芸の位置とは、今の段階ではわかりません。AIはおそらくまだ黎明期でしょう。これからどのように社会を変えていくのか、まったく想像がつきませんが、おそらくAIが社会を根本的に変えることはIFであるよりはWHEN、でしょう。AIが広く浸透した社会で人々が生活に求めるものはなんでしょう。個人的にはAIが人類に与える影響というものにはとても強い関心があります。
ここからは少し個人的な想像と願望の世界となります。
これからの時代、我々は人間とはなにか、という根源的な問題を考えざるを得ない状況に直面するのではないか、と思います。そんななかで伝統工芸はもはや「日本らしさ」という枠よりも、よりシンプルな人間らしさ:物を作る、という行為における人間性が尊ばれるものになるのではないか、と考えています。数千年以上の歴史のなかで、人はものを作り出し、他人と交換し、必需品でないものでも生活を潤すものとして愛でる、そんな営みを続けてきました。技術の進歩も人間の歴史そのものです。西陣織は現在詳細な紋図はコンピュータによって可能ですし、ジャガード織機によっておられています。ただ、技術の進歩は(今までのところ)あくまでで人間のcreativityの助けとなるもので、美は人が生むものであり、余韻、物語、完成を作品に込めるのは人の手です。
この関係がもしかしたら逆になるかもしれません。人間が知的分野におけるAIのcreativityを助けるようになる可能性はあるのではないか、と思います。0→1は人間でも、そこから途方もなくアイディアを発展させていくのはAIがやってしまう時が来るかもしれません。最終的に人の心を動かすのは、人の心だけ、と思いたいですが、AIの言葉はそのうち人間の心に届くようになるかもしれません・・ただ、言葉を介さず人の心をうつ美を作り出せるのは人間だけ、と祈りのような思いを込めながら、人間はそれでももの作ることをあきらめないような世の中を次世代に残したいものです。
手を動かしてものを作りたい、美しいものだけではなく、役に立つもの、面白いもの、なんでも作ってみたい、工夫してみたい、という思いは、人間が人間たる所以ではないでしょうか。機械のない時代、人々は蚕を育て、まゆから糸を紡ぎ、糸をつくり、染め上げ、精密なデザインを作り、複雑な織機を作り出し、織り上げ、それをさらに着物に一針一針仕上げていたのです。その膨大な作業と時間に、私は人間のとてつもない美と創作への欲求を感じずにはいられません。AIと対峙することは我々が人間としての根源を問うことに立ち返る、良い機会でもあるかもしれません。
私も日常的にミシンや針をつかいます。ミシンで洋服が形作られている過程のわくわく感、一針一針まつっていくときの、何とも言えない穏やかな気持ちは手作業をする人ならきっとわかることと思います。人間の幸せなんて、意外と身近にあるものです。私の本当の願いは、皆が作ることを楽しむことですが、まずは、工芸、身近に置いてみませんか?