西陣織の歴史(2)平安京の西陣織

西陣織の歴史(2)平安京の西陣織

現代からは想像がつきませんが、絹は古代においてはローマでは同重量の金と取引されていたほど貴重で、交易で富をもたらすものでした。また、貨幣のような役割も果たしていたことから、価値への信頼性が高かったものと考えられます。そのため、絹織物は多くの王朝で朝廷が管理運営することが多く、西陣織の発展も、権力者である皇室が京都に朝廷を置いたことにより始まったといえるでしょう。

平安京では絹織物を統括する「織部司」が大蔵省の中におかれましたが、これが現在の西陣の一角にありました。織部の司やその周辺で皇族や貴族が着る豪華な衣装が織られ、これが西陣織の歴史に直接繋がっていきます。平安時代末期には王朝の弱体化によりすでに織部司は解体され、西陣織の先祖たちは独自で機織りを続けながら、長い歴史を生き延びていくこととなります。

青で囲まれたところが織部司・織部町 現在の堀川通と中立売通の交差点近くになります。

どんな生地が織られたのでしょう?十二単や束帯を皆さんは見たことがあると思います。高位の僧侶の袈裟、貴族の室内や神社仏閣の空間を飾る装飾的な布。西陣織は平安時代の雅を形成する大きな要素の1つだったのです。

 

 

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