西陣 どんな場所?(2)千両ケ辻
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思ったよりも広い範囲の西陣ですが、中心的な場所は存在しました。その名も「千両ケ辻」。江戸時代、この道に立ち並ぶ生糸問屋、織物問屋では、一日に千両ものお金が動いた、というほどの賑わいを見せた場所です。明治に入っても引き続き生糸問屋のほか、金融機関が立ち並んだということですので、大きな経済の中心であったことがうかがえます。今はこのように、他の通りとさほど変わりのない、静かな通りとなっております。時の流れというのは不思議なものです。
以前はこのエリアに、びっしりと西陣織関係者が集住し、多くの家から機を織る音が聞こえたといいます。今はほとんどその音を聞くことはありませんが、それでもたまに通り過ぎるときに耳にすることがあります。染色や精錬、撚糸を行う人々もめっきりと減ってしまいましたが、まだこのエリアで活躍されている方もおられます。それでもほとんどの生産過程は現在丹後の方に移ってしまいました。
現在、このエリアには、旧西陣織会館の建物が京都市考古資料館として使われています。その建物の前に立つ石碑には、西陣の由来が刻まれています。ちなみに、資料館のHPの平安宮散策マップは、平安京の足跡をたどりたい方にはお勧めです。