西陣織の歴史(5)江戸時代の西陣織
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江戸時代に入ると、社会の安定と繁栄を背景に西陣織の需要が増加しました。特に裕福な町人層が西陣織の衣服を身に纏うようになり、豪華なファッション文化が発展します。元禄時代には、経済的余裕から消費が盛んとなり、国内養蚕業の発展によって手に届きやすい商品も生産され、西陣織はさらに繁栄しました。当時の西陣地域には高級織物職人だけでなく、ちりめんや絣の職人も集まり、日本の絹産業の中心地として活況を呈しました。
しかし、江戸時代中期には、飢饉や自然災害による社会の不安定化に加え、中国からの輸入生糸需要の増大や貿易不均衡が進行。加えて、商品経済の発展が重農主義を掲げる幕府の政策に反するとして、奢侈禁止令が度重ねて発布されました。西陣地域も贅沢禁止令や度重なる大火、飢饉、生糸価格の高騰など、多くの困難に見舞われます。
それにもかかわらず、人々のファッションへの欲求は容易には抑えられず、表からは見えない衣服の裏地に鮮やかな色や豪華な柄、生地で装飾する「粋」と呼ばれる新しい美意識が江戸の人々の間に生まれました。